ボスニアに来てから初の投稿ですが、諸事情があるのでボスニアの話ではなく、昨日までの休暇帰国中に観た「風立ちぬ」の感想をしたためたいと思います。

ジブリ作品を劇場で観るのは「ポニョ」以来ですが、宮崎監督の作品としてはポニョの次だから、あんまラグはないんだなあ、という感じでみてきました。主人公が男の青年、戦時中を描いたジブリではかなり珍しくリアル寄りの題材、などなど気になるポイントはありましたが、どちらかと言うと誘ってもらったから、っていうモチベーションで観に行ったのでした。結果的にはウルウルしたし、特別な余韻を残す作品で、ジブリの人物の描き方は匠だな、という感想を持ちましたが、題材が題材なだけに、素直に手放しで絶賛というのもしにくい映画だったのも事実で、そのあたりの感想をまとめたいと存じます。

観終わった方向け(ネタバレ)の内容となります、ご注意を!

まず、ジブリってファンタジーじゃないの?という点に関しては、自分は今作も「ファンタジー」に分類し得ると思っています。大震災の描き方とか、夢というか精神世界のような場面が重要なところとか、戦時中だけど戦火の描写が避けられているところとか、舞台を戦時中の日本に置いた、ある種幻想的な物語だった印象です。

ファンタジー作品を観た時にその非現実性、「ここではない世界」観に興味をひかれて興奮するのは常ですが、「風立ちぬ」では、当時の日本社会を反映したいくつかのシーンが、その機能を果たしていると感じました。最初のほうで主人公と妹が敬語で会話をするところとか、後のほうで主人公とその恋人が結婚する時に主人公の上司夫婦が即興で結婚の儀を取り持つところとか、もしかしたら過去には現実のものだったのかもしれないけど今はないもの、の描写に心惹かれるものがあって(別に兄妹は敬語で話すべきだと思ってるわけではありませんが)、その「ここではない世界」観を感じることができ、そのバランスは心地良かったです。

この映画の軸になっているのは、飛行機に憧れる青年が、戦争で使われた兵器である「零戦」を開発する物語で、そういったファンタジー観とは本来うまく合わないものだと思うのですが、良い悪いは置いておいても、その「現実」観は映画中では意図的に距離をとって描かれていたと感じました。あえてファンタジー色を濃く、現実色を薄く描くことで、主人公夫婦の思いや、飛行機の開発にかける情熱、といったようなテーマを描くことに集中し、「戦争」は、ひとつの舞台を提供する材料として、舞台上に常に存在しているけど見えにくい場所に配置されている、ということになったのかな、と思います。

で、集中して描かれた「主人公夫婦の思い」や「飛行機の開発」ですが、この2つの要素の関係は複雑ですよね。片方の要素がもう片方に従属しているわけではなく、基本的にそれぞれ平行して話は進んでいくけど、主人公は病床の妻との時間ではなく飛行機開発に自分の時間を使うことを決める、けどそれは単純に妻よりも仕事を優先したというわけでもない、けどだからといって別に零戦の完成が妻との共通の悲願というわけでもない。主人公の人生にとってどちらのほうがより大切だった、という結論は描かれずに終わるわけですが、この2つの要素の関係がある意味宙ぶらりんで終わるところが、この作品のミソかなと思うのです。

その点で象徴的なシーンは、結核で苦しむ妻の横で仕事をしながらタバコを吸うシーンです。前提として、タバコを吸うために側を離れようとする主人公に、妻がここで吸ってくれ、と言う経緯があるので、主人公がごく身勝手に振る舞ったというわけではないものの、この作品が観客とする現代の人々の多数の感覚からすれば、「いや、タバコ吸うのを諦めろよ!」ってなるんじゃないかと思うのです(喫煙者の人は違うのかもしれないのであれですけど)。ここで「あの時代は今とは感覚が違うんだよ」という回答はあまりそぐわない気がしていて(自分はあの時代背景の描写が、リアリティを重視しているというよりも、現代の人に向けたファンタジーとして機能することを重視していると感じてもいるので)、あのシーンは、この作品の主人公が、自分の仕事・夢に打ち込むこと、自分の愛する人の近くにいたい・大事にしたいと願うこと、自分のエゴに従って生きること、といった時に両立しない欲求をどれも手放せないという、いわゆる「人間くさい」存在として描かれていることを象徴しているように思ったのです。だから、「主人公夫婦の思い」も「飛行機の開発」も、平行して、時に相反しながらも、それはそれとしてどちらが大事とか結論もなく描かれているのかと。

でも、この作品の最後で、主人公はこの二つを失うんですよね。妻とは死別し、時に妻との時間を犠牲にしてつくった零戦は戦場から還ってこなかった。ラストの精神世界のシーンでは、悲壮さは極力排除されているものの、主人公はすべてを失った人間としてそこに描かれていて、何も救いは提供されていない。でも、そんな主人公を待っていた妻は、「生きて」と呼びかけ、「飛行機の開発」という主人公の夢を象徴し、主人公の(空想上の)人生の師であるイタリア人飛行機設計士は、「いいワインがある」と、呼びかける。失われた二つを象徴するふたりともが、主人公が今後も生きることを全面的に後押ししてこの映画は終わります。中途半端で、きれいごとだけでは終わらない人生の肯定、これがテーマだったのかな、と思えば、言ってしまえば兵器の開発者である堀越二郎氏を主人公に置いたことにも意味があったように思います。

零戦の開発者を主人公にしてキレイに描くことで、この作品は戦争を少なくとも間接的に賛美しているのではないのか、という声が上がるのは自然なことだと自分は思いますし、描き方はそうではなかった、と言っても、全面的にそうした批判を払拭できるものでもないと思います。意外にも(?)、直接的な反戦映画でもなかったですし。誰かのレビューで、そうは言っても主人公が戦争の兵器を開発し、戦争犠牲者を増やすことに加担したということに対してあまりにもイノセントに描きすぎていないか、という評価もあって然るべきだとも思います(これに関しては、ラストの精神世界のシーンで、主人公に一言でもその点について苦しんでるようなセリフを言わせればとりあえずの申し訳がたっていたところ、最後までそれをしなかったので、制作側は意識してあえてやらなかったのだと思っています)。ただ、人が生きるということを肯定するこの作品の精神を汲めば、制作側が戦争に対してどういった姿勢をとるのか見えてもくるかなと思います。

こうした複雑なところに突っ込んでいったのもすごいなーと思うのですが、今作で一番印象に残ったのは、人物の魅力です。特に主人公の上司の黒川課長(だっけ?)はツボりました。彼も、飛行機が大好きで、その革新というものに対して誠実でまっすぐでとても魅力的に描かれています。その奥さんも頼りになるかっこいい人だったし、あと主人公の妹も好きだったな-。そして男前の主人公の友人、本城さん。ジブリは、その人となりを表す象徴的な一言がうまいですよね。最初に「人物の描き方は匠だな」と思ったといったのはそこらへんで、やはり一番印象に残ってるんですけど、ちょっと長くなったのでこのあたりにしておきます。